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水間 一太朗
 Ichitaro Mizuma

水間一太朗について

みずま いちたろう。アートプロデューサーとして欧米各国、南米各国、モンゴル、マレーシア、台湾、中国、韓国などの美術展を担当。美術館収集アドバイザー。神道研究家として『蘇る神道』『東アジア文学考 - 漢字を巡る遥かなる旅』などを新聞雑誌等で掲載中。神社年鑑編集長。神道絆農祇舎(はぬきや)神社宮司。NPO法人にっぽん文明研究所代表理事。神道神祇本廳神職養成講座講師。
 
《水間家について》
 水間家は能登衆として累代を重ねた海の民。その祖は、日本書紀、先代旧事本紀にある水間君(みずまのきみ)。政変により高三潴(たかみずま)の地より高志国(こしのくに)に移り住んだと伝えられる。室町時代は天竺や暹羅までを寄港地とし、江戸時代は北前船として日本全国を取引先とした。曽祖父の三左衛門は大型帆船多数を有し、ウラジオストック、択捉島、函館の三拠点を持つ海商として活躍した。祖父の金吾は東京久我山の開業獣医であったが軍馬養成の任で北海道に移住。生長の家の信仰により「人を癒せ」との啓示を受け北海道新十津川町に治療院を開業。父親の偉行は、日本獣医畜産大学に進学するも教育に目覚め教師となり、北海道山間部の僻地教育発展のために一生を捧げた。
 


history 

​誕生から青年期
 

【出生と学生時代】 1959年、北海道新十津川町字大和(やまと)にて、水間家長男、敏隆として生まれる。幼い頃より霊的感性に優れ、母親文子により数々の秘蹟が伝えられている。産土神社は新十津川町の玉置神社。大和小学校入学。12歳の時に本山博の著書に出会い、超心理学に没頭する。新十津川中学校、北海道滝川高等学校卒、在学中にアニメーション部を設立初代部長。美術部、新聞部、演劇部、ロックバンドに同時に所属する。 美術大学に進学するために上京後、霊的な啓示を重ね、生長の家、天理教、崇教真光、基督教、GLAなどの諸宗教を遍歴。阿佐ヶ谷美術学園、東京造形大学デザイン学科に学び、在学中にグラフィックデザイナーとして独立。サンリオのダイカットブックシリーズ(キキララ他)、白い本(マイメロ他)などの絵本を企画制作。Fostex、Pioneerなどのマニア向け音響誌の編集を担当する。

1990年代〜2010年代前半
​芸術と宗教

​2010年代後半から2020年代

【芸術と宗教との出会い】 二十歳になり七日間完全断食による瞑想修行を敢行、「60歳を越えるまでは決して表に出てはいけない。それまでは全ての出来事を神の試練として甘受せよ。」との啓示を受ける。それから七年間、無期限断食と極寒での水行による瞑想修行を繰り返す。修行中、天地創造の根源神に出会い、難行苦行は神の真意ではないことを知り、芸術と宗教の奥義を探求することを決意する。 1985年、東京上野に現代美術のギャラリーを設立。七年間の修行を終え、1988年、東京銀座の大手ギャラリーの総支配人として2008年まで経営参加。ギャラリーは谷村新司などスピリチュアルな著名人が多数訪れる溜まり場となった。雑誌編集、美術評論、企画などで新しい切り口を開拓。小田急本店パリ作家絵画展総合ディレクターを皮切りに、欧米、ロシア、中南米のアーティストによる数多くの展覧会のキュレーションを担当。また、美術館および企業コレクションのアドヴァイザーとして印象派以降の著名なマスターを多数納入した。

【芸術と宗教の奥義探求】 1993年、天の導きにより再び古神道と深い縁を結ぶこととなる。出羽三山にて伯王家十種神宝御法相伝者である神林茂丸老師に出会い薫陶を受ける。同時に、自分自身が日本人であることを再認識し、ギャラリストとして、関根伸夫を中心とした『もの派』など、日本の精神性を基底にした企画に注力。1997年マーエクステル神話の世界展(マレーシア・クアラルンプール)、2004年上海国際芸術祭和平大展、2005年MANIF関根伸夫展(韓国・ソウル)、2007年アート北京、2008年イスラエル・テルアビブ大学カリグラフィー展、2012年麗水海洋博覧会国際美術展、2014年UMA日本作家展(ウランバートル)、香港contemporary14など、総合ディレクターとして東洋の現代美術企画の発表を続ける。 

【古神道普及の開始】 2019年、60歳を迎えるにあたって古神道の奥義の伝授を開始する。2021年、古神道いろはの会を立ち上げ、全国講演を開始する。2022年「日本の覚醒が世界を変える」連載開始。2023年、神道神祇本廳より中教正を授与される。基督教牧師資格を再取得、聖書と古事記の比較文化論の連載を開始する。2024年、特定非営利活動法人にっぽん文明研究所代表理事に就任。

【IT技術者として】 神道と芸術の他、外資系IT関連会社EQCの経営に参加し取締役コンテンツ事業本部長としてキャリアを積む。三井物産本社カレンダー制作、丸井『くらしdeサンプル』プロジェクト、PARCO渋谷本部『やまなし良品プロジェクト』などを企画担当。2008年からiPhone用アクセサリの開発を開始。2009年EQクリエイト社設立。3Gサービスプロバイダを北京に設立。2014年QRECO社設立。トライボロジストとしての活動を開始する。2017年IT部材メーカーとしてアクロキューブ社を設立、それまで積み上げた素材研究の集大成として世界トップのスペックを誇る保護ガラス『YATAGLASS』を完成。美術品の保管保存方法の研究として特定波長を減衰する強化ガラスを開発。セルアニメ文化保存研究所代表としてTAC素材におけるビネガーシンドローム発生防止処理を研究した。

​2020年代から現在

【現在】 雅号は石渓。モンゴルネームはナランバートル。神職名は一太朗。牧師名はミカエル真清水隆。現在は、神道研究家として集中して講演や執筆活動を行なっている。神社年鑑編集長。特定非営利活動法人にっぽん文明研究所代表理事。神道神祇本廳神職養成講座上級講師。関東十津川郷友会幹事。新十津川トップ会幹事。古神道いろはの会代表。絆農祇舎(はぬきや)神社宮司。「東アジア文字考」「蘇る神道」などを新聞雑誌に連載中。現在64歳。 

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​水間一太郎事務所

​​絆農祇舎(はぬきや)神社・町屋分室

〒116-0001  東京都荒川区町屋

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